記事を探す方はサイトマップへ

プロフィール

はじめまして、マクリンと申します。

1983年生まれ、京都出身、今は東京都内に住んでいます。

趣味は音楽鑑賞、ビジネス書と小説の乱読、オフィス文具探索、美味しいゴハンの散策、といったところで、あまりアクティブなほうではありません。

音楽は邦楽よりも洋楽のほうが好きで、70年代から現代まで幅広く聴いています。

学生時代はTSUTAYAでバイトしており、洋楽コーナーを担当していたこともあって、かなり詳しいほうだと思います(いわゆる音楽チャートマニアです)。

最近のですと、The Weeknd、The Chainsmokers、Foo Fighters、Maroon5、Kings Of Leon、Coldplay、Fall Out Boy、John Mayer、など……

EDM(電子音のダンスミュージックです)とロックを行ったり来たりしている感じです。

文章を書くことも好きです。

けっこう前ですが、mixi上で自虐ネタまじえた日記を書き続けていたら、日記きっかけで徐々にマイミクシィが増えてきて、やめる直前は500人以上にまで膨れ上がりしました。

何回かmixiでオフ会をやったこともあります。

そのとき初めて「文章の力ってすごいもんだなぁ」と感じました。

このブログを始めたきっかけについて、少し触れさせてもらいます。

下のほうにも書いていますが、僕はビジネスマンとして弱点だらけの人間でした。

こんな弱点満載の僕でも、いろいろな努力を重ねて自分をアップデートしていくことで、傍から見れば「あいつは営業の才能がずば抜けているから、ぜったいに追いつけない」と勘違いされるビジネスマンになることができたのです。

(注:僕自身はそうは思っていません)

僕は周りからそう言われるたびに、なんだか自分を否定された気がして、いつも空しい気持ちになっていました。

僕にそんな才能がないことは、誰よりも僕自身が一番よく分かっていたからです。

すなわち今の僕(まだまだ途上ですが)は、いろいろな出会いと圧倒的努力の積み重ねによって築いてきたものなのに、それを分かってもらえないから、何らかの形に残しておきたいと思いました。

そして、これからビジネスマンとしてさらに向上していこうと頑張る皆さんの手助けになれば、こんな素晴らしいことはないよね、ということでこのブログを立ち上げることにしました。

ちなみに僕は現在、3社目の会社に勤めています。

これまでの軌跡について簡単に振り返っていきます。

 

 

一社目までのこと

なんとなく就職に有利そうだからという理由だけで、大学は工学部に入学。

そして周りに流されるまま大学院まで進学し、バリバリやる気の研究室に所属、学会発表を重ね、気付けば技術職にしか就職するしかないだろという状況になっていました。

主体性のない僕は、結局とある半導体会社(インテルとかサムスンとか東芝的な感じね)の設計職に就くこととなりました。

半導体エンジニアとしてソツなくこなす日々でしたが、心の中ではずっと或ることを思っていました。

ああ、もっと色んなところ飛び回って、人と触れ合う仕事がしたいなぁと。

すなわち本当は営業がしたかったんですね。

でも、なかなか踏み出せなかった。どうしてか。

それは、僕が決定的な弱点をいくつも抱えていたからなのです。

その中でも一番の弱点。それは、僕が異常な汗っかきであったということ。

父親も異常な汗かき(たとえ真冬でも、ゴハンを食べるたびに汗をかくのでタオル必須)なので、これはもう遺伝なのかなと……。

もうね、どんな活動をしても汗をかいちゃいます。ちょっとでも緊張状態に陥ると、おでこから大量の汗がぶわっと噴き出る始末。

そして、汗をかいた自分にあせって、余計に汗をかいてしまう悪循環(汗かきならこの心境、分かりますよね?)。

だから、できるだけ汗をかかない環境下に自分を置きたいという防衛心から、技術職を選んだという後ろ向きな側面も実はありました。

そんな僕が営業職なんかに身を置いたら、それこそ毎日汗かき地獄で、お客様から一瞬で敬遠されるにちがいない……。踏み出す勇気がなかなか持てずにいました。

そんな中でひとつの転機がありました。セールスエンジニアの社内公募です。

完全な営業ではないものの、技術職と営業職の中間のような職種。

まさに営業職へ踏み出したい僕にとっては、ちょうど良いポジションでした。

初めて主体性を発揮して手を挙げ、セールスエンジニアへ移ることができました。

やっと念願の(半分)営業職に就くことができて、充実した日々を送れると思っていました。

しかし、意外とそうでもなかったのです。

この会社でのセールスエンジニアは、自分の行動予定がともに活動する営業に引っ張られました。

当然のことながら、単独で打ち合わせに行くことすらできない。

また、いざ一緒に打ち合わせへ行っても、価格交渉や納期調整など大事なところは営業まかせで、セールスエンジニアは時おり挟まれる軽い技術的な質問に答えるのみ。

(情けないことに、この軽い技術的な質問ですら、汗をかきかき回答する始末でしたが……)

けっこうヒマでした。

ちょっとでも営業の醍醐味を感じられればと思っていた僕にとって、その最低限すら満たせるものではありませんでした。

(注:世の中のセールスエンジニアは、もっと面白い職種です)

そしてもうひとつ、僕が会社に対して、いや半導体業界に対して懸念していたことがありました。

「このまま行くと、日本の半導体会社なくなるんじゃね?」ということでした。

2017年4月、最後の牙城であった東芝もついに半導体部門を売却することが決まりましたが、この兆候は2010年当時でも業界に属するみんなが感じていたことだったのです。

2010年9月末、僕は1社目の半導体会社を退職しました。

 

 

二社目までのこと

それから僕が2社目に選んだのは、表面処理の会社でした。

簡単に云うと「コーティングの会社」です。

例えば、錆びやすいモノに錆びにくいコーティングを施したり、熱に弱いモノに耐熱コーティングを施したり、モノを滑らせるレールに滑りやすいコーティングを施したり……、実はさまざまなコーティングが世の中では使われています。

1社目に比べて会社規模は小さくなりましたが、その分自分でやれる裁量も増えて、営業マンとして出遅れた分を取り戻すにはピッタリだと考えました。

そしてこの会社では、営業業務はもちろんですが、セールスエンジア的なこともまとめて営業が行う(というか、セールスエンジニアがいない)ことも、自分にとっては大きなポイントでした。

実はこの2社目に入った時点で、3社目へのステップを考えていました。

ここで誰にも負けないくらいのビジネススキルを身に付けて、次は大きな会社に転職してめっちゃ稼いだるねん!

ミーハーで小さい野望ですが、僕はこんなことを考えていました。

会社の大きさなんてのは、本質的には何の関係もないです。

ヒトから会社名を訊かれた時の優越感、そこで働いている自分という満足感を得たい、というのが大きな会社で働きたいと考えていた理由です(うすっぺらい)。

それから僕は2社目の会社で猛烈に働きました。

もともとハードワークの会社ではありましたが、その中でも誰よりもたくさん働いたという自負があります。

自慢できることでもないですが……、ほぼ毎日テッペン(深夜12時)を越えての帰宅でした。

しかし、相変わらず「異常な汗っかき」という弱点は抱えたままだったので、最初のころは目の前のお客さんよりも、いかに汗をかかずこの面談を乗り切るかということを考えていました。

さらには、もう一つの弱点、「極度のアガリ症」という新たな問題も出てきました。

人前で発表する機会が増えてきたため、この弱点が足を引っ張ることが多くなってきたのです。

この二つの弱点は、悪い意味で相関性があります。

「汗をかかずにこの場を済ませたい」という感情が緊張につながり、一方で「緊張していることを悟られたくない」という感情が体温の上昇そして、発汗を生じるのです。

この二つの弱点を克服しないと、ビジネスマンとしての大成はあり得ない。

そう悟った僕は、初めて真正面からこれらと向き合うことにしたのです。

ちょうどその頃、僕のサラリーマン人生に大きな影響を及ぼす、上司(でもあり師匠)との出会いがありました。

その上司は今まで僕が出会った中でも、もっとも仕事ができる人だったと思っています。

まさに営業をするために生まれてきたような人です。

人間的にも器が大きく、男性にも女性にも本当によくモテる人でした。

2社目の会社は売上200億円ですが、実は会社が設立してから100億円に到達するのに50年かかっています。

ですが、その後たった10年で200億円企業へと成長を遂げたのですが、その原動力になったのがこの上司です。

上司は鉄鋼・自動車分野が主であった会社に対して、航空宇宙や半導体(海外)といった新しい分野へコーティングの扉を開け、会社が急成長を果たしたのです。

そんな伝説の上司を間近に見て、営業そして仕事を学ぶことができたのは、一生の財産だったと今でも思っています。

幸運なことに伝説の上司は、不思議と僕に目をかけてくれました。

たぶん他の営業マンにくらべて、ものすごくデキが悪かったからだと思いますけど(笑)

ブログ内で詳述しますが、2つの決定的な弱点を克服した僕は、伝説の上司の下でぐんぐんと成長していきます。

そして、入社してから約2年で、全営業マン中トップの受注を挙げることができたのです。

もちろん、担当した分野やタイミングもあるので、運も手伝っての結果ではありますが、この成功体験が自分の中ですごく大きな自信につながりました。

極度のアガリ症が原因で苦手だったプレゼンも、社内で2年連続表彰を受けるほどになり、以前の自分からどんどん脱皮していっているのを実感していました。

会社に入社してから3年が経ち、僕は係長に昇格しました。

同い年の新卒社員の中でもデキる人たちが、僕と同じタイミングで係長に昇格したので、中途社員としてはきわめて早いタイミングで上げてもらえたことは明白でした。

初めての部下を持たせてもらい、会社からも高い評価をされて充実した日々。

まさに順風満帆の会社生活を送り始めていたわけですが、僕の中ではひとつの気持ちが頭をもたげ始めていました。

そろそろ、この会社から卒業するときかもしれないな

当時の僕は、上司からこれからの計画も打ち明けられていました。

「おまえに係長を三年やってもらったら、次は課長に上げるからがんばれよ」と。

この会社では課長に上がると、いわゆる大台(年収1千万)に乗るので、社員たちにとってひとつの目標でした。

正直かなり迷いました。

上司と公私ともに深く付き合いがあったし、人間として好きだったからです。

転職することは彼を裏切ることになります。

ですが、そのとき転職するのを留まってしまったら、これから先大企業への転職の道が年齢とともにどんどん閉ざされてしまうような気がしていました。

実はそんなことないのですが、当時の僕は「35歳転職限界説」を真に受けて、そう思い込んでいました。

また、今の自分が営業マンとして、ビジネスマンとして、今よりも大きな会社で高いレベルの中で、どれくらいやれるのか、試してみたい欲求が日に日に抑えられなくなっていたのです。

そして2014年9月末、僕は4年間本当にお世話になった2社目の表面処理会社を退職しました。

 

 

三社目入社~現在までのこと

3社目の会社として、僕が現在勤めているのは、世界的に有名な大手食品会社です。

これから先、転職はしないと決めていたので、本当に慎重に決めました。

「この高いレベルの中でどれだけ自分がやれるのだろうか」という期待と不安の織り交ざった入社時の高揚感は、今でもよく覚えています。

導入研修を経て、僕は東北の中でもさらに端っこの、青森県を担当することになりました。

同期たちは福岡・大阪・東京の担当だったので、たぶんまったく期待されていなかったのだろうなと思います(笑)

面積は広大、各得意先間の距離も長い、人口はどんどん減っているエリア。

いやいや、こんなところでどうやって数字伸ばせっちゅーねん」というのが青森県です。

実際、青森県の状況はヒドイものでした……。

しかし、そういう逆境ほど燃えるのが僕の特性です。

今まで培ってきたスキルにさらなる工夫を加え、僕はどん底の青森県を怒涛の勢いで伸ばし続けました。

その結果、青森県の数字の成長率が、首都圏を超えるという逆転現象を生み出し、関東・関西の営業陣が上位を占める中で、東北圏から唯一トップ5に食い込みました。

今の会社では、ターゲット数字が「前年の数字+○%」で成り立っています。

したがって、ターゲット数字を達成し続けることが難しく、並みの営業マンはどうしても今年:未達成→翌年:達成→翌々年:未達成というループにはまりがちです。

人口の落ち続けている青森県では、より困難なミッションであるわけです。

ですが、その頃になると僕はたくさんの武器を持っていたおかげで、翌年はさらに数字を伸ばすことができました。

そして僕は、青森県にくわえて岩手県も担当することとなりました。

それからも一度も数字を落とすことなく伸ばし続け、営業で入社して2年が経った頃、本社から営業企画として来ないかと声がかかりました。

営業が好きだったので、このオファーを受けるかどうか正直迷いましたが、自分の幅を広げるために結局受けることにしました。

東京の本社に異動してから新しい経験を積んでいます。

今までの営業経験に加えて創造性が求められるので、たのしく充実した日々を過ごせています。

 

 

このブログについて

このブログでは、僕が培ってきた経験を元に、営業の皆さんに役立つ情報を書いていきます。

また、「転職でキャリアアップを実現したい!」という方のために、転職活動に関する情報もお伝えします。

営業以外の方でもお役に立てるはずです。

ご相談やご質問、ご感想などありましたら、いつでもお気軽にお問い合わせフォームもしくはTwitterまでお送りいただければと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたしますね。